WEB上にないものはたくさんある
僕は、趣味でWEBサイトを2つ運営している。2つとも海外で有名なキャラクターのコレクションサイトである。コレクションの公開と同時に、その他のコンテンツを入れながらファンなら楽しめるであろう、ということ、また、僕が楽しめることを念頭に作っている。
このブログにリンクを貼ったことはないし、そっちの運営者名は「びんた」でもないので、探すのは困難と思う。でも、過去のエントリーを全て見て(笑)、少し頭をひねったら探すことが可能なようにはしてある。作ったのは、約1年超前。その2つのキャラクターは、割と国内でも目にすることはある。日本のオークションでも、掘り出し物が出たら競る人は、そこそこ多い(僕は、eBayから手に入れるけれど)。
キャラクターは2つとも数十年前から存在しているものなので、キャラクターのファン自体もかなり多い。でも、不思議なことに、そのキャラクターをメインに打ち出したサイトは日本にはなかった。だから、作ったのち、割とすぐにキャラクター名の検索にて「yahoo」「Google」ともにトップに到った(内1つはトップらへん)。ファンならチラリと見たことはあるかもしれないし、このブログよりはファンは多いはず。内1つは、拙い英語仕様にしてあるので、海外からのアクセスもある。もちろん、ファンメールもときどき頂く。
今後誰かが、そのキャラクターのファンサイトを作ったら、僕と同様に検索にて一気にトップらへんに行くことは出来ると思う。そのもののファンが多い割に、ファンを楽しませるようなサイトはないからだ。
さて、WEBで「何かの言葉」を検索すると、膨大な量の検索結果が出てくる。でも、以外とないものって多い。僕が患っているIBSもそう。恐らく日本国内で数万人、数十万人が悩まされているのに対して、闘病記というか、まとめサイトというか、その辺の個人サイトは、5つにも満たないくらいだ(と思う。ブログは除く)。当然、個人の書くレベルのものは、引用を駆使したところで、医学的に明確な根拠はないかもしれないけれど、そもそも医者に掛かったところで(掛かることは大切だけれど)、「病状における食事面はこう、呼吸方法はこう、運動面はこう・・」というような個々の指導はない(中には、先生に恵まれた人もいるかもしれないから、その辺は何とも言えない)からして、何か出来ることはあるだろう、と思う。
先日、某書を読んでいたら、
著者の人が読者のために書くこととして、こんな付加価値は最低限必要、と
いうようなことが書いてあった。
1)自分の知らないことを知る
2)すでに知っていることだけれども、より深く理解する
3)経験したこと、ぼんやりとわかっていることだけれども、それをスッキリと
「言葉」や「手法」の形でまとめてもらう
3)において、ネットはネットなどでも、まとめサイトが話題になったりする
こともあると思う。ただ、所詮まとめは、まとめなので何かが足りない。
さらに、文章を書くことに対する注意点として以下のことを、述べていた。
○単純明快
○意外性
○具体的
○信頼性
○感情に訴える物語
今回、下痢型過敏性腸症候群のサイトを作るにあたって参考にしようと思ったのが、上記の太字の部分である。当然、僕自身の文章力は拙いものだし、そもそもニートになってしまって、何か社会的な価値観として足りないものもあるでしょう、とは思う。「信頼性」の面で言えば、プロではないわけだし、難しいところである。当然、筋違いや勘違いもあるはず。ただ、左記の事柄に対しても、公開することで「それは違うんじゃないのか?」と助言を受ければ、僕自身得るものはあるわけだし、良いループになることは間違いない。
当然、誰かのために・・という気持ちよりは、自分のためにという気持ちで作っている(とは前々から書いている)。僕自身が何度も読んで、擦り込んで、モノにしていきたいという想いだから、当然である。ただ、作るからには1%くらいは読み手にとって価値があるといいな、とは考えている(かもしれない)ということ。今、この時期に作ることが、僕にとって価値があると踏んでいるからこそ、作っているし、完成させることも出来るだろうと思っている。
医学のプロが、IBS関連のサイトを作ったとする。ただ、上記の太字において、足りないのが1つあると思う。それは、「感情に訴える物語」である。このブログだって、僕は自分自身のために適当に書いているわけだけれども、ときどき「このブログを読んで、働くキッカケになった」とコメントやメールをいただいてとても嬉しく思う(僕がニートのままなのが面白いというか、ミステリー)。これは、「本ブログ=感情に訴える物語」になっていたからだと思う。ひきこもりやニートの専門家ぶっているコメンテーターや著者あたりが、何を書こうと「そこに、その人の持ちうる感情に訴える物語はない」からだ。僕がニートでなかったら「誰か他のニートの人のキッカケ」になっていたとは思えない。実際、僕自身、最初に宅建勉強をしようと思い立ったのは、ニートからのキャリアアップのexneetさんのブログだったことから明らか(というには個体数が少ない)・・えっと・・明らかっぽい感じである。
つまり、下痢型過敏性腸症候群を患い、そのストレスで色々壊れて、ニートになった僕自身が作るサイトだからこそ、僕にしか作れないサイトがあるんじゃないかな?と思ったわけである。自己満足とも言える。
僕は、現在「WEB上にないもの」というのは、実はたくさーんあると思っている。同時に、Webサイトのデザインやプログラミングの技術を持っている人には、「箱」を作るんじゃなくて、たまには「箱の中身」を作ったら、もうちょっと価値のあるもの作れるんじゃないの?とも思う。僕には技術がない(というか、技術をつける気もないから、1、2週間くらいの知識で止まったまま)から、キレイな「箱」は作れない。でも、汚い「箱」でも中にゴチャゴチャと入っている「オモチャ」なら作れる気がした。「何で、WEBサイトを作る技術を真面目に勉強して仕事にしないの?」と問われたら、キレイな箱を作ることに全く関心がないから、である。趣味は趣味である、と思っている。
何かに触発されて「よし、やるぞ!」と思っても、実際にやる人は、20%くらい。そして、その中で、やり続ける人に到っては、5%くらいである、というのを耳にしたことがある。実際、それくらいだと思う。とりあえず、完成させたら、その一面だけにおいて5%には入れるでしょう、とか思いつつ、のんびりだらだらと作る僕であった。
このブログが何かのキッカケになって、ニートの脱出へと到った人がいるのであれば、もっと自信を持って欲しい。少なくても、ニート脱出の5%に入ったわけだし、僕より凄いことは間違いない。ニートを脱出したら、色々な出会いがある。前回、僕が脱出したとき(経験者は語る)には、彼女が出来た(振られたけれど)し、新たな友人も出来た(3つ上の男性。2つ上の女性。3つ下の女性。今も、3人とは続いている)。
きっと、今、想像がつかないくらい楽しい出会いが待っていると思う。そして、それらは、WEB上にはない出会いである。もし、楽しい出会いが待っていなかったら、そこで諦めずに、模索していこう。全てを諦めてしまう人間に待っているのは、いつの時代だって変わらず、絶望しかないと思う。僕も、資格取得後、サッとニートを卒業できればカッコ良かったけれど、自分の体調が恐くて出来なかった。でも、今、こうして積み重ねてきたことが実り、運にも恵まれ、少しずつ確実に体は改善に向かっている。ニートの人と、不幸自慢や愚痴の言い合いならしたくないし聞きたくもないけれど、脱出後の幸せ話なら聞きたいとは思う。脱出後、「ニートを脱出して良かったべ!」ということがあったら、是非とも自慢しに来て欲しいと思う。
このブログにリンクを貼ったことはないし、そっちの運営者名は「びんた」でもないので、探すのは困難と思う。でも、過去のエントリーを全て見て(笑)、少し頭をひねったら探すことが可能なようにはしてある。作ったのは、約1年超前。その2つのキャラクターは、割と国内でも目にすることはある。日本のオークションでも、掘り出し物が出たら競る人は、そこそこ多い(僕は、eBayから手に入れるけれど)。
キャラクターは2つとも数十年前から存在しているものなので、キャラクターのファン自体もかなり多い。でも、不思議なことに、そのキャラクターをメインに打ち出したサイトは日本にはなかった。だから、作ったのち、割とすぐにキャラクター名の検索にて「yahoo」「Google」ともにトップに到った(内1つはトップらへん)。ファンならチラリと見たことはあるかもしれないし、このブログよりはファンは多いはず。内1つは、拙い英語仕様にしてあるので、海外からのアクセスもある。もちろん、ファンメールもときどき頂く。
今後誰かが、そのキャラクターのファンサイトを作ったら、僕と同様に検索にて一気にトップらへんに行くことは出来ると思う。そのもののファンが多い割に、ファンを楽しませるようなサイトはないからだ。
さて、WEBで「何かの言葉」を検索すると、膨大な量の検索結果が出てくる。でも、以外とないものって多い。僕が患っているIBSもそう。恐らく日本国内で数万人、数十万人が悩まされているのに対して、闘病記というか、まとめサイトというか、その辺の個人サイトは、5つにも満たないくらいだ(と思う。ブログは除く)。当然、個人の書くレベルのものは、引用を駆使したところで、医学的に明確な根拠はないかもしれないけれど、そもそも医者に掛かったところで(掛かることは大切だけれど)、「病状における食事面はこう、呼吸方法はこう、運動面はこう・・」というような個々の指導はない(中には、先生に恵まれた人もいるかもしれないから、その辺は何とも言えない)からして、何か出来ることはあるだろう、と思う。
先日、某書を読んでいたら、
著者の人が読者のために書くこととして、こんな付加価値は最低限必要、と
いうようなことが書いてあった。
1)自分の知らないことを知る
2)すでに知っていることだけれども、より深く理解する
3)経験したこと、ぼんやりとわかっていることだけれども、それをスッキリと
「言葉」や「手法」の形でまとめてもらう
3)において、ネットはネットなどでも、まとめサイトが話題になったりする
こともあると思う。ただ、所詮まとめは、まとめなので何かが足りない。
さらに、文章を書くことに対する注意点として以下のことを、述べていた。
○単純明快
○意外性
○具体的
○信頼性
○感情に訴える物語
今回、下痢型過敏性腸症候群のサイトを作るにあたって参考にしようと思ったのが、上記の太字の部分である。当然、僕自身の文章力は拙いものだし、そもそもニートになってしまって、何か社会的な価値観として足りないものもあるでしょう、とは思う。「信頼性」の面で言えば、プロではないわけだし、難しいところである。当然、筋違いや勘違いもあるはず。ただ、左記の事柄に対しても、公開することで「それは違うんじゃないのか?」と助言を受ければ、僕自身得るものはあるわけだし、良いループになることは間違いない。
当然、誰かのために・・という気持ちよりは、自分のためにという気持ちで作っている(とは前々から書いている)。僕自身が何度も読んで、擦り込んで、モノにしていきたいという想いだから、当然である。ただ、作るからには1%くらいは読み手にとって価値があるといいな、とは考えている(かもしれない)ということ。今、この時期に作ることが、僕にとって価値があると踏んでいるからこそ、作っているし、完成させることも出来るだろうと思っている。
医学のプロが、IBS関連のサイトを作ったとする。ただ、上記の太字において、足りないのが1つあると思う。それは、「感情に訴える物語」である。このブログだって、僕は自分自身のために適当に書いているわけだけれども、ときどき「このブログを読んで、働くキッカケになった」とコメントやメールをいただいてとても嬉しく思う(僕がニートのままなのが面白いというか、ミステリー)。これは、「本ブログ=感情に訴える物語」になっていたからだと思う。ひきこもりやニートの専門家ぶっているコメンテーターや著者あたりが、何を書こうと「そこに、その人の持ちうる感情に訴える物語はない」からだ。僕がニートでなかったら「誰か他のニートの人のキッカケ」になっていたとは思えない。実際、僕自身、最初に宅建勉強をしようと思い立ったのは、ニートからのキャリアアップのexneetさんのブログだったことから明らか(というには個体数が少ない)・・えっと・・明らかっぽい感じである。
つまり、下痢型過敏性腸症候群を患い、そのストレスで色々壊れて、ニートになった僕自身が作るサイトだからこそ、僕にしか作れないサイトがあるんじゃないかな?と思ったわけである。自己満足とも言える。
僕は、現在「WEB上にないもの」というのは、実はたくさーんあると思っている。同時に、Webサイトのデザインやプログラミングの技術を持っている人には、「箱」を作るんじゃなくて、たまには「箱の中身」を作ったら、もうちょっと価値のあるもの作れるんじゃないの?とも思う。僕には技術がない(というか、技術をつける気もないから、1、2週間くらいの知識で止まったまま)から、キレイな「箱」は作れない。でも、汚い「箱」でも中にゴチャゴチャと入っている「オモチャ」なら作れる気がした。「何で、WEBサイトを作る技術を真面目に勉強して仕事にしないの?」と問われたら、キレイな箱を作ることに全く関心がないから、である。趣味は趣味である、と思っている。
何かに触発されて「よし、やるぞ!」と思っても、実際にやる人は、20%くらい。そして、その中で、やり続ける人に到っては、5%くらいである、というのを耳にしたことがある。実際、それくらいだと思う。とりあえず、完成させたら、その一面だけにおいて5%には入れるでしょう、とか思いつつ、のんびりだらだらと作る僕であった。
このブログが何かのキッカケになって、ニートの脱出へと到った人がいるのであれば、もっと自信を持って欲しい。少なくても、ニート脱出の5%に入ったわけだし、僕より凄いことは間違いない。ニートを脱出したら、色々な出会いがある。前回、僕が脱出したとき(経験者は語る)には、彼女が出来た(振られたけれど)し、新たな友人も出来た(3つ上の男性。2つ上の女性。3つ下の女性。今も、3人とは続いている)。
きっと、今、想像がつかないくらい楽しい出会いが待っていると思う。そして、それらは、WEB上にはない出会いである。もし、楽しい出会いが待っていなかったら、そこで諦めずに、模索していこう。全てを諦めてしまう人間に待っているのは、いつの時代だって変わらず、絶望しかないと思う。僕も、資格取得後、サッとニートを卒業できればカッコ良かったけれど、自分の体調が恐くて出来なかった。でも、今、こうして積み重ねてきたことが実り、運にも恵まれ、少しずつ確実に体は改善に向かっている。ニートの人と、不幸自慢や愚痴の言い合いならしたくないし聞きたくもないけれど、脱出後の幸せ話なら聞きたいとは思う。脱出後、「ニートを脱出して良かったべ!」ということがあったら、是非とも自慢しに来て欲しいと思う。
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